忘れ得ぬ人(その1)

<写真>故モーリス・ベジャール芸術監督<二十世紀バレエ団>

    故浅川仁美女史<二十世紀バレエ団プリンシパル>

 

故浅川仁美女史  平成13年未明 永眠

 

浅川さんは私がパリに留学していた時に大変お世話になった恩人です。

西も東も解らず、フランス語もままならない私に、ある日突然彼女の方から声をかけて下さり、以後私がフランス滞在中は密接に関わり、助けて下さった方なのです

 

私は当時パリ・オペラ座の芸術監督を担っていたR・フランヶティ氏のオープンクラスを毎日受けていました。(他にM・レズニコフ氏 マダム・ノラ)

オープンクラスは誰でもクラスを受けることが出来、オペラ座の現役ダンサーから私のような留学生まで幅広く、しかも人種も様々でお互い言葉を交わすまでは国籍も解らないのです。

 

ちなみに当時の私は用心深くこのクラスに通い始めてから3日間、スタジオ館内では声を発することはありませんでした。そう、誰とも言葉も交わすこともなく只もくもくとクラスレッスンを受け続けていたのですがある日、更衣室で久保田紀子さんという日本人のダンサーから

「貴女、日本人?」

「はい、そうです」

「毎日レッスンにきてても、何も話さないから日本人かベトナミアンか解らなかったわよ」

と言われてしまいました。

 

浅川さんも時折クラスを受けていらっしゃっていましたが、既にベジャールのプリンシパルとして有名になられており、どこに行っても彼女とジョルジュ・ドン パオロ・ボルトリッツィなどの写真が飾られている花形スターでした。

 

フランヶティのスタジオでは一般の人とプリンシパル級の人との更衣室が別々で、浅川さんは当時のオペラ座のスター達と一緒の更衣室で着替えられていた事もあり、言葉を交わす機会は殆んど無かった訳です。

 

約1ヶ月くらいたった頃でしょうか、レッスンが終了後、浅川さんが外で待っていて

「加藤さん、(既に名前を知っていた)これから良かったらウチ(京都弁)の部屋で食事していかへん?」とこの私を誘ってくれたのです。!!!

 

<その2へ続く>

 

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コメント: 2
  • #1

    MRB松田(小嶋)敏子です。 (水曜日, 14 9月 2016 23:28)

    主人が、お世話になっております。私が19歳のとき、東京新聞でいただいたルフトハンザドイツ航空賞で、ドイツ・シュトットガルトに行きました。ドイツ語も、さっぱりわからず、宿泊も2泊しか確保していない時に助けていただいたのが浅川先生でした(>_<)

  • #2

    桜舞 (火曜日, 07 3月 2017 15:35)

    ・オペラ座の先生から、聞きました!素晴らしいダンサーと。。